GHOST IN THE SHELLを見てみた感想

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※今回は1995年のGHOST IN THE SHELLを見ました。

 

あらすじ(Wikipediaからの引用)

業のネットが星を被い電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来――。

公安9課に所属する草薙素子(通称「少佐」)は認定プログラマーの国外亡命を斡旋する外交官暗殺の任務を遂行する。後日、外務大臣の通訳が電脳をハッキングされる事件が起き、他人の電脳をゴーストハックして人形のように操る国際手配中の凄腕ハッカー、通称「人形使い」の犯行である可能性が浮上。公安9課は捜査を開始するが、容疑をかけられ逮捕された人物はいずれもゴーストハックされており、人形使い本人の正体を掴むことが出来ない。

そんな中、政府御用達である義体メーカー「メガテク・ボディ社」の製造ラインが稼動し、女性型の義体を一体作りだした。義体はひとりでに動き出して逃走するが、交通事故に遭い公安9課に運び込まれる。調べてみると、生身の脳が入っていないはずの義体の補助電脳にはゴーストのようなものが宿っていた。公安6課によって一連の捜査の概要と、その義体こそが人形使いであることが明かされる。目覚めた人形使いは自らが情報の海で発生した生命体であることを主張し、いち生命体として政治的亡命を要求しはじめる。

しかし、施設が襲撃され人形使い義体が拉致されてしまう。公安9課は義体の奪還と並行して捜査を続けた結果、外務省による「プロジェクト2501」の存在を突き止める。義体を確保した少佐は人形使いの電脳にダイブする。そこで人形使いから融合を提案されるが、直後に2体の義体は狙撃され破壊される。破損した義体は回収され、少佐の脳殻は行方不明として事後処理される。

20時間後、子供の姿をした義体がバトーのセーフハウスで目覚める。

 

 

まぁなんか難しそうなこと書いてますけど、自分なりに色々見てみた感想とか意見とかを書いてみようと思います。

 

まず、GHOST IN THE SHELLが公開されたのは1995年です。

人間っていうのは世紀末が来ると「世界が終わる」と思い込む不思議な生物です。

例えばフランス革命は1789年~1799年の18世紀末。「革命」と言うくらいですから世界の歴史の一つのポイントでしょう。

もっとわかりやすくいえば1999年。世の中は「ノストラダムスの大予言」でざわつくばかりでした。詳しくはWikiを見てね。

 

さて、では公開された1995年。実は1995年っていうのは重要な年であり、様々な出来事が起きた年でもあります。

1.阪神・淡路大震災

人々を震撼させた地震です。まるでゴジラでも来たかのような世界に一気に変わりましたね。

2.地下鉄サリン事件

当時「サリン」というのはあまり知られておりませんでした。その際すぐに行動を起こしたのはアメリカでした。アメリカはすぐさま行動し、サリンの危険性や性質を研究するために来日し、現場検証をしていました。そういう観点では日本は本当に遅い国です。

3.Windows95発売

当時はフロッピーディスクを入れてから電源をいれるのが当たり前だったパソコンです。当時としては最先端の技術として注目を浴びましたが、ネットに繋ぐのに電話線を使うので、電話がPC使用中は使えないという...現代の小学生じゃ考えられない状態ですね。

 

そんな世界でこの世界観を描ける押井守さんはすごいなと思いました。当時はいわばIT世界が発展し始めた直後ですから、その時点でもうロボットのような思考があるというのは面白いことでした。

 

2049年に技術的特異点としてAIが人間を超えると言われていますが、これも時間の問題なのかなと思います。ロボット工学者の石黒浩氏も言っていますが、僕は人間は物理的に消えるんじゃないかと思ってます。GHOST IN THE SHELL草薙素子は脳は自分のもので他の部位(身体、筋肉..etc)はロボット(当の本人は「ロボット」という言い方はしていませんが)なのですが、いずれ脳も全て機械のSDカードみたいな感じになっちゃうんじゃないのかなぁって思ったりしてます。

 

ちょっと機械的な話から哲学的な話に移ってみましょう。

素子が「自分たちがあくまで『自分らしきもの』として見ている。だって自分で自分の脳を見たことがないじゃない」と言っていました。先程言ったとおり、素子の脳は人間のモノです。しかしそれを見たことがない素子は「自分は本当に草薙素子なのか」と疑うわけです。自己の証明というのは他者との比較をしない限り出来ないと思っています。

そして、僕が思うに、将来的に「痛み」という概念は消えると思います。

 理由は簡単。ロボットだから破壊されても神経が通ってないので痛みを感じない。しかも修復し放題。例えば劇中に素子の腕が引きちぎられるシーンがありましたが、彼女は「痛み」という感情を知らないのではないかと思わせるかのごとく冷静に淡々とバドーと話していました。

 

ちょっと余談ですが、この作品はエヴァンゲリオンアニメ公開1ヶ月前に公開されてます。エヴァンゲリオンもかなり当時としては「一般的に想像できない」作品でした。

庵野秀明が変態過ぎるんや

1995年は色んな意味で、ITの発展と未来構想を現実的に且つ忠実に再現し始めた年なのかもしれません。

 

まとめ

にしても結局最終的に思うことは一つ。

あいつら、誰と戦ってるんだ?

色々と考えさせられる点もありましたが、結局これが一番の疑問でした。マトリックス要素もあったし、めっちゃ面白かったですが...これは続編のイノセントを見ない限りスッキリしない作品です(笑)今後のロボットの発展性と危機感について深く考えさせられるものです。その系統にエヴァンゲリオンとか、AKIRAとか、色々あるんだと思います。

 

人間はロボットに如何に抗えるのか。

それが重要な今後の考えるべきものだと思います。